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江戸の水事情
2008.07.17 Thursday
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江戸の人口増加と飲み水‥(玉川上水)
ふだん何気なく飲んでいる水道の水、東京では東京都水道局の管轄ですが‥元は玉川上水を継承する形でその後を掘り返し、鉄管を埋設しています。明治31年(1898)には、上水の水を濾過し、鉄の水道管にポンプで圧力をかけて送るための設備(加圧式水道)を備えた淀橋浄水場を完成させ、東京の発展を支えてきました。
その玉川上水を開削したのは福多庄右衛門(兄)清右衛門(弟)という二人の兄弟でした。(※福多姓との説があるようですがまだ未確認です‥後に玉川姓となる)
今からざっと350年前の江戸時代の大江戸の町人もじつはきれいな水道水を飲んでいたのです。テレビで井戸端会議のお江戸の風景がありますが、あれは正確には井戸であっても地下から直に水を汲み上げるという井戸ではないのです。元々、海だった所を神田や上野の山を切り崩して埋め立てたので江戸の地下を掘っても海水しか出て来ないのです。
幕府は多摩川から江戸まで水を引き、その地下に石樋(せきひ)木樋(もくひ)による配水管を付設して要所に汲み上げ式の井戸を設置したのでした。日本の水道の始まりですね‥。こうしてきれいな水を江戸中に供給したお陰で江戸の人達は健康的に生きることができました。また、川に腐敗物(下肥)等を捨てる事もなかったのできれいな川を維持することができたのですね。
下肥は農家が買い取りに来たのですが店子が多い長屋では1年に1両ほどになって大家の儲けになっていたらしい‥。店中(たなじゅう)の尻で大家は餅をつき‥という川柳が残っているそうです。ただしホントの家主は別にいて(大工の棟梁だったり)大家は管理人兼集金係のような役目をしていたいう記述がありましたが、今資料が手元にないので‥判然としていません。
■江戸の水不足
江戸初期の1650年頃、江戸の町は、神田上水と溜池上水で給水を行っていましたが、まちの発展に伴う人口の増加で、水不足が生じるようになっていました。
■四代目将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)は、上水拡張の計画をたて、町奉行・神尾備前守(かみおびぜんのかみ)に、多摩川を水源とする上水開削を命じました。神尾備前守は、庄右衛門と清右衛門に、上水を開削するための調査を命じます。これを受けた兄弟は各地を調べ、多摩川からの取水地点を羽村にする計画を立てました。幕府は松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)を総奉行に、伊奈半十郎忠治を玉川水道奉行に任じ、福多庄右衛門と清右衛門に開削工事を命じました。
■兄・庄右衛門しょうえもん (不明〜1695)
■弟・清右衛門せいえもん (不明〜1696)
■玉川兄弟は、幕府から工事費用六千両を受け‥承応2(1653)年4月4日着工、多摩川の水を羽村(現在の羽村市羽東)から取水して、武蔵野台地を横切り、四谷大木戸‥現在の新宿区四谷4丁目までに至る‥総延長は約43km。標高差はわずか約92メートルでした。
緩やかな勾配を、いくつかの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜線に至り、そこから尾根筋を巧みに引き回し四谷大木戸まで到達するという自然流下方式(水が自然に流れ落ちる力によって水を引いています。)による導水路でした。このわずかな勾配を利用して四谷大木戸まで掘り、そこから虎ノ門まで、石樋や木樋でつなぐ予定で進められていきました。しかし、深さ3メートル川幅5メートルほどの土地を彫り抜いていくこの工事は当時、相当な苦難を極めたようです。JR中央線立川よりも先の福生:多摩川の取水口から東京虎ノ門までの距離を人手によって掘っていくという大工事でありました。
玉川兄弟の測量は、束にした線香を竹竿にくくりつけたものや提灯の明かりを利用して夜間に行ったといわれるが、どのような方法だったのか、今も明らかにはなっていません。
途中、予定した水路「水喰土(みずくらんど)」と呼ばれる地点で、水が地中に吸い込まれて消えてしまうという事態に陥るなど、当初予定していた取水地点の変更を余儀なくされ、苦難の連続、幕府からの六千両の下賜金も使い果たし、高井戸(現在の杉並区)付近で、工事費用が底を尽いてしまいます。
困った兄弟は、幕府に工事費の追加を申し出ましたが、幕府からの返答は「完成するまでは自分で費用を工面し、虎ノ門まで堀削せよ」というものでした。兄弟はこの費用を工面するため、自己資金二千両と所有の町屋敷3箇所を売って千両を調達し、すべての私財を投じて工事を続けました。また、この工事には、川越藩主松平信綱の家臣安松金右衛門の援助もあったともいわれています。
承応3(1654)年11月には虎ノ門まで地下に石樋(せきひ)木樋(もくひ)による配水管を付設し、江戸城をはじめ、四谷、麹町、赤坂の台地や芝、京橋方面に至る市内の南西部一帯に給水しました。約1年半という短い期間で、この大事業を成し遂げたのでした。
幕府は玉川上水を維持するために、上水沿いの羽村・砂川村(現立川市)・代田村(現世田谷区)・四谷大木戸(現新宿区)に水番人を置きました。水番人は、お互いに連絡を取り合って上水や分水の水量調節をしたり、各自の持ち場の見まわり、壊れているところの修理といった上水の管理を行っていたということです。
玉川上水役に任じられる
幕府は、庄右衛門・清右衛門の働きを賞して、永代玉川上水役を命じ、玉川姓を名乗ることと帯刀を許し、4年間にわたって200石分の扶持を与えました。(4年間に限りとは、ケチくさい話しであるが‥)
しかし、兄弟は、上水開削工事で私財を投じているうえに、毎年の羽村大堰の破損工事をしていくには、この手当では難しいと嘆願します。そして、万治2(1659)年から、玉川上水を利用する武家や町方から、水上修復料銀(上水の使用料で水道使用料のようなもの。武家は石高(こくだか:収穫した米穀の数量)に応じて料金を定め、石高が大きいほど、割安というシステムがとられ、町方は家の間口による小間割で徴収したという。)を取り立てることが許されます。
玉川上水の完成から約40年後の元禄8(1695)年、
兄‥庄右衛門がその翌年、弟‥清右衛門が亡くなり玉川上水役は、庄衛門・清右衛門の名と共に代々玉川家に世襲されていきました。
その後明治44(1911)年政府は玉川兄弟の功績を賞し両人に対し従五位を追贈しました。
年号 西暦 月.日 年齢 略歴
承応1 1652 玉川上水開削の調査をする。
12.25 多摩川が水源の上水工事の寄合に兄弟が召集される。
承応2 1653 4. 4 玉川上水の開削工事を着工。
11.15 羽村から四谷大木戸までの工事が完了。
承応3 1654 11 四谷大木戸から虎ノ門までの工事が完了。
明暦1 1655 4年間にわたって、200石分の扶持を与えられる。
永代玉川上水役を命じられ玉川の姓と帯刀を許される。
万治2 1659 水上修復料銀を取り立てることを許される。
元禄8 1695 6.6 兄・庄右衛門、死去。
元禄9 1696 5.5 弟・清右衛門、死去。
兄・庄右衛門(しょうえもん)、弟・清右衛門(せいえもん)の生誕から玉川上水開削以前の、詳しい資料は残念ながら、残されていません。開削工事を命じられたいきさつは、江戸の町人説や多摩川沿岸(羽村付近)に関わりのある人物だった為、又、兄弟が土木業・人入れ稼業を営み、多摩川中流部の事情に詳しかった為など、いろいろな説があるようです。
現役の導水路として使われている玉川上水は、小平水衛所から東村山浄水場に送水して、都民の飲み水として350年以上たった今でもに利用されています。
(※台東区‥聖徳寺に玉川兄弟の墓があります。)
参考文献(東京都水道歴史館、京浜河川事務所)
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/pp/rekisi/index.html

- Posted by: kousaku | - | 18:42 | - | trackbacks(1)
【創点】ジャパンメイドTシャツ
現代作家が手がける高級和柄Tシャツ【創点】
ー 妥協をしない、大人のTシャツ。ー
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江戸の和紙と紙文化
2008.06.27 Friday
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お江戸の貸本文化
これからいくつかお江戸の話を書いてみたいと思っています。
日本古来の製法による「紙」を称して『和紙』と呼ばれています。和紙はすべて職人の手技により手漉きによって作られているのでとても丈夫で強度があり吸湿性にも富んでいて書画、工芸や様々な用途に使用されています。全国各地で作られる特徴のある和紙は長い伝統と共に受け継がれてきました。その品質も素晴らしく‥世界中で認められています。
和紙は原料別に楮紙(こうぞし)三椏紙(みつまたし)雁皮紙(がんぴし)の三種類に分けられます。この三種類を基盤に産地や製造法によって様々な種類の和紙が生み出されてきたのです。こうした和紙により書物、絵草紙などを中心に日本の文化は大きく栄えることができたと言っても過言ではないでしょう。和紙がなかったら情報や流通において江戸も日本もこのように発展することは難しかったと思えてきます。その材料となるのが楮などですが、楮は一年で生えた枝だけを使い‥木の本体を伐採してしまうことはなかった為に毎年、木の皮を取ることができたということでした。こうして毎年新たに生えてくる枝を使い紙の材料にしてきたことから、資源としても困ることはなかったそうです。
今も残っている『江戸名所図会』や『都名所図絵会』などは、江戸時代の風物などの絵が豊富でとても、おもしろいものです。最近は復刻版も発売されていて、なんと文庫版でも買えるようになりました。さて‥お江戸の時代もまた、本を読む人が多かったようで本屋がずいぶんと繁盛していたそうです。江戸時代の本屋は印刷から出版、販売までやっておりました。仏書・古典などの本を「書物」として、浄瑠璃本や絵を主とする通俗的な読み物を「草紙」として分けて売られていました。曲亭馬琴による『南総里見八犬伝』など様々な読み物が出版されたようです。馬琴は執筆途中で目が見えなくなり、息子である宗伯の妻、お路に口述筆記をしてもらい何とか28年がかりで書き上げたという‥偉大な作家でしたがその話は‥またの機会にしておきます。
しかしこうして作られた本は江戸の昔から高価で庶民には‥なかなか手が届かないということで、いつからか書物や草紙を背負って、お得意先を廻り五日〜十日毎に書見料を取るという‥いわゆる「貸本屋」が生まれることになりました。庶民に人気の読み物もたくさんあって、そうした本を貸して歩くという業態だったようです。
つまり貸本屋さんの始まりは江戸時代にあったという事です。版木によって印刷された本を背負い町内を廻って本を貸して歩いたようです。江戸ではそんな貸本屋が600軒もあったというから江戸の人達はすごい本好きという事がわかりますね。また、紙の需要も多かったはずです。当時は今のような輸入は出来ませんのでコウゾ・ミツマタといった和紙の原料も自然に採れる量でしか生産できなかったと思います。
また、紙は貴重品だったので使い古しの紙は紙の問屋が買い取って、もう一度紙に漉き返したりしていたということです。でもこうした和紙で出来た紙は虫に食われたりしなければ相当長い間、保存する事ができました。現在日本で作られている紙製品は薬品が入っているので劣化も早く100年も持たないと言われています。つまり保存ができない‥最後はパリパリとひび割れて粉々になってしまうことになります。科学の進んだ現代なのに、なんとも情けない状況だなあと思っているところです・。
★余談ですが前出の曲亭(瀧澤)馬琴‥筆名の曲亭馬琴はよく見ると「くるわでまこと」(廓で誠)つまり遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味でありましてなんとも洒落っ気の多い人物です。滝沢(瀧澤)馬琴と紹介している本が多いのですが、これは明治以降に使われ出した表記であり当の本人は滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は使っておりません。 ・・光作
画像は江戸名所図会(巻之一:天枢之部)より
■ちょっと読みづらいのですが以下のように書いてあります。
(錦絵)江戸の名産にて他邦に比類なし。なかにも極彩色ことさら高貴の御翫びにもなりて、諸国に賞美することもっとも夥し。

(画像クリックで拡大) - Posted by: kousaku | - | 05:07 | - | trackbacks(0)
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Tシャツアート展に出展しております
2008.06.27 Friday
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創点とは【もの作りの原点】という意味で、「創り手の想いを届ける創意工夫」がコンセプト。
6月にデビューしたばかりの創点ですが
このたび、お披露目の気持ちと
【日本を愛でると同時に、この美しい地球を慈しむ心を大切にしたい。】
という気持ちから
オリジナルTシャツをTシャツアート展に出展する事に致しました。

6月28日(土)〜7月5日(土)東京都赤坂 日本財団ビル/1階
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展示されるTシャツにはチャリティがついており、1枚ご購入につき500円が、
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これからも日本(和)を意識したステキなオリジナルTシャツを
沢山発表して行きますので、どうぞお楽しみに!
ファッションは一つの自己主張。
【現在】【過去】【未来】の日本をテーマに
既成概念にとらわれず日々進化する作品を、どうぞ楽しんでください。 - Posted by: 創点 AKIKO | お知らせ | 02:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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はじめに
2008.05.06 Tuesday
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創点とは【もの作りの原点】という意味で、「創り手の想いを届ける創意工夫」がコンセプト。
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誰かと同じにならないために、少量生産にしております。
品切れの際は、次の新作をおまちください。
- Posted by: 創点 AKIKO | 現代作家が手がける和の趣【創点】 | 19:47 | comments(0) | trackbacks(1)
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